ぐれっぐのことば日記・改

引越ししてみました

「お花見」変わるもの、残るもの、変えたくないもの

時間というものは容赦がない。



日本を出てNew Yorkに来てから、花見の時期に桜を見る機会が減った。
East villegeには桜の木が一本あり、もう少しするときれいに咲くことだろう。それ以外にもあるのだろうが、日本で「お花見」をするような場所はNew Yorkでは「ソメイヨシノ」に関しては(多分、知る限りでは)ない。ICUの「滑走路(正門から800mくらいの直線の桜並木のある道をそう呼ぶ)」の花見が懐かしい。

ソメイヨシノ」に関してといったのは、ブルックリン植物園で「八重ざくら」の「桜まつり」があるからである。関東出身の私としては桜は「ソメイヨシノ」であるので、「八重ざくら」の「お花見」に行くのは抵抗があった。数(2?)年前から毎年行っているのだが、なかなかというか、かなり面白い。太鼓や踊りの出し物もあり、姫ともども結構楽しんでいる。

ソメイヨシノ」が見たければ、Washington D.C.に行けばいいのだ。去年までは姫も学生でこの時期が一番忙しかったので、毎年悔しい思いをして来たのだが、今年は行きたいなあと思っている。武蔵丸も来るらしいのでなおさらだ。



ないものがいくら欲しくてもないのはしょうがないことであるし、代用品で我慢して行くうちに慣れてしまい、それを楽しんでしまうようになることもある。適応の課程の中で何が残り、何が変わって行くのかは興味があるところである。ただ、得ようと思えば得られるものを自分の手抜きによって失ってしまうことだけはないようにしたい。