乱読
- うちのアパートの地下にあるゴミ捨て場に捨てられていた日本語の本を拾ってきたものを地下鉄の中で適当に読み散らしている。
- 「松本」、ダウンタウン松本人志が雑誌のコラムに書いていた記事を本にしたもの。要旨は「俺は笑いに関してはすごい。女遊びがひどいのは個人の松本人志、ダウンタウンの松本人志は仕事熱心。」11年前にかかれたものであるが、けっこう共感できるのには驚き。でも、松本人志が最近始めたらしいコントは多分見ない。ダウンタウンだろうが、松本人志だろうが、あまり好きではないのだ。
- 岩城宏之「指揮のおけいこ (文春文庫)」、自分からは仕事や興味に全く関係のない本を買うことがないので、面白い機会となった。一応指揮者を目指す人のために指揮者たるものの心得のように書いてあるが、終始、著者を含めた指揮者の裏話に終始している。楽しく読めたのは著者の力量、そこから何か学べたかというとそんなことはなかったので、のだめ的でない私としてはこの手の本を買うことはこれからもないだろう。それはそうと、「岩城宏之」って有名な指揮者なのだろうが、私にはなんとなく聞いたことがあるような気がしないこともない程度だった、申し訳ない。
- Richard Carlson(リチャード・カールソン) 「小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと (サンマーク文庫)」の訳本(小沢瑞穂)、訳が自然できれい。だいたい原著のタイトルが"Don't Sweat Small Stuff"であるところを『くよくよ』と訳してしまうところがすごい。しかし、この本、「どうやって小さなことにくよくよすることなく、ストレスのない生活を送るか」というテーマで100か条あまりの提案をしているのだが、さすがにどれも似たり寄ったりでくどい。『早起きして、自分の時間を作る』など、共感できることは多かった。それにしても、アマゾンの『なか見!検索』で目次をクリックすると、「目次」と書かれたページしか見ることができないというのはなんだかなあ。
- May Sarton(メイ・サートン) 「私は不死鳥を見た―自伝のためのスケッチ」の訳本(武田尚子)。第1章と「訳者あとがき」を読んで断念。訳が直訳過ぎて中身に入り込めない。使われている語彙などから見ると原著はかなり詩的できれいなものと思われる。直訳過ぎるのも良くないが、開きすぎて訳者著書のようになってしまうのもなんだかと思う。昔、村上春樹全著読破を目指していたときに彼のフィッツジェラルドの翻訳を読もうとしたところ、あまりにも村上春樹のほかの小説に雰囲気が似ているので読むのをやめたことがある。私が読もうとしたのはフィッツジェラルドの小説であって、村上春樹の二次著作ではなかったのだ。どうでもいい話だが。