ぐれっぐのことば日記・改

引越ししてみました

頭の中の声

この日記にも書いたことだが、ここに記したいことは、まず頭の中に音声として浮かび上がって来る。人によっては村上春樹のように頭の中に世界があらかじめ存在して、それを物語を通して表現するのだとのもあるのだろうが、自分の声は浮かんでは消えていく儚いものだ。

さて、この音声というのはほとんどの場合に日本語で出て来るが、いろいろな邪魔物が存在する。自分は、(英日両語の母語話者であるという本当の意味での)バイリンガルではないので、文のレベルでの交替というのはほとんどない。英語で話をしなければいけないときは、「英語で話をする時用」の考え方をしているらしい。それがいいのかどうかはよく分からないが。

英語でやっかいなのは、単語レベルでの干渉である。今、研究している自然言語処理っていうやつは、この国に来てから本格的に勉強を始めたので専門語彙はほとんど英語で、日本語で何と言うのかというところですごく苦労したし、こっちに来てから係わりあうようになった心理学っぽいことばは、英語の用語をどう日本語に訳していいのかよくわからないものも多い。

英語だけでやっていくには、単語や表現の幅がまだまだ、とても狭いので同じ表現の繰り返しになってしまったりして苦労するし、いざ、日本語を話そうとするときには、あることば(というよりは概念なのか)を、どう表現すればいいのかでやはり苦労する。

これに加えて、最近では、韓国語が自分でも知らぬ間に頭の中の声に干渉を加えているらしい。今でも覚えているある意味でショックなことであるが、日本人に日本語を話しているときに、「試験(しけん)」という単語を「試験(シホム)」という音に置き換えてしまったことがある。聞いていた相手は、ちょっと不思議そうな顔をしていたが会話は通じていた。

そのときは「ついに起こってしまったか」という思いでいっぱいだった。それ以降、気をつけてはいるがどうなることやら。。。

(追記)

自分が言いたかったことに忠実に書こうとしたのだが、若干ずれてしまった気がする。海外にて苦労/頑張ってオラレル方々の共感を少しでも得られれば幸いであるが、うまく説明できたとはとうてい思えない。自分でもまだ、ホットな話題なのだ。