36 yrs +/- 0 day --- たな卸と抱負に代えて
始めがあれば終わりもあり、「人生半ば」を過ぎればどうしても終わりの方を意識せざるを得ない。まだまだ『こちら側』にいると思い、また、自分に言い聞かせ、少しの希望をつないでいた気になっていたが、すでに折り返し地点を過ぎ完全に『あちら側』の領域に入ってしまっていた。振り返ると、PowerPointで5ポイントで引かれたぶっとい線が見える。そう、すでに『あちら側』は『こちら側』になっていて、『こちら側』だと思っていたものは『あちら側』へと移ってしまったのだ。
大学時代の友人で始めて会ったときは18だった女の子があることから地元の新聞に名前が載っていて彼女の年齢が31であることを知ったとき、自分がNYに来てから過ごした時間は人生の約3分の1にあたり、それがある人の人生の半分に当たる時間であるということを知ったとき、そしてなによりも自分に残っている一番古い記憶である3歳という年齢に小姫が到達したとき、まるで犬か猫のようにコミュニケーションもままならない赤ん坊だった小姫が、いまや冗談も言えるようになったという事実を目の当たりにする。そんなときに、今の私と小姫との関係を、子供だったときの私と父の関係に投影せざるを得なくなるのだ。
私が7歳のときに当時37歳だった父は祖父の墓へ私を連れて行き、「お前のおじいさんは私が今のお前と同じくらいの歳だったときに、今の私と同じ年で亡くなったのだよ」と言った。父は5歳、祖父は37歳であったはずだ。当然、私はその祖父の顔を見たことはない。父は何を想いその言葉を口にしたのか、私が当時の自分の歳まで成長していくさまを見て父は何を感じたのか、私はそんな考えから逃れることはできない。来年、私は小姫を日本の墓に連れて行き、同じことを小姫に伝えるべきなのだろうか?
その父とて、私が20歳のとき、すなわち父が50歳のときに事故でなくなった。私が50歳になるまであと14年。それがどれだけ短い時間であるかということを私は痛いほどよく理解している。14年前、私は22歳でありそれはたとえ『あちら側』にあっても、私にとっては『つい昨日あったこと』のようなにビビッドな記憶があり現在の自分へと連続しているからだ。それに、14年後には小姫は17歳、2年後には小姫は学校に通うようになるし、そうなってから高2まで時間の進み方がどれだけ早かったか私とて記憶している。
正直、今の私には『そのとき』が来ることの準備はできているとはいえない。せめて『不惑』となる四年後までには少しばかりの覚悟とそれに伴う重みが身についていてほしい。今の私は『こちら側』の世界ではあまりにも幼い。